彼女の事情(仮題)B



「ねぇ、蓮音さん、演劇にご興味ある?」
そういってボクに声をかけてきたのは、1年先輩の演劇部部長。
中肉中背セミロング、一見ふつうの女子高校生だが、舞台での存在感はほかの部員を圧倒していた。
文化祭のあと、この部長にあこがれて演劇部に入部した女子も多いと聞く。

演技というものをまったく経験したことがなかったが、この部長から立っているだけでいいからと言われた。
新入生歓迎会での演目は「人形館」という。ボクはそこで男の子の人形の役をあたえられた。

人里はなれた一軒家に見立てた舞台にひとりの少女が歩いてくる。対人関係につかれた様子。
そんな彼女を、部長演じる女主人が温かく迎える。ただ一点忠告されたのは、部屋にある人形と口をきいてはいけない。
夜になって落ち着いて部屋を見回すと、赤いドレスを着た女性と幼女、木こりの男性に扮した女子部員、半ズボンをサスペンダーで吊った男の子がいた。
どの人形も顔と肌を真っ白に塗られて、手足を何らかのポーズで固定されたまま、その場に立ち続けていた。

「立っているだけでいいから。」とは言われたものの、生身の人間では呼吸し、肩や胸が動いてしまう。それをずいぶん直された。
腕を宙に浮かせてそのまま動かさずにいるのは疲れる。腕が下がってくるとすぐに叱られた。
メイクをしたことがなかったので、白いドーランを塗るときも、アイラインを入れるときも、ほかの部員に手伝ってもらった。
青いズボンに白いシャツ、金髪のかつらをつけると、鏡のなかのボクは別人のようになった。

夜がふけて少女がベッドで眠りについたところで、人形たちの宴がはじまる。セリフはドレスを着た女性と木こりの男性だけのかけあい。
ボクはあらかじめ振付けられたとおりに動き、踊った。周りの騒がしさで少女は目を覚ましてしまう。
少女は自らおかれた環境、親しい人びとへの不満を口にし、いっそわたしも人形になれたら解放されるのに、と口走る。
「そうだ。だったらいっしょに人形になろうよ。」
これがボクの唯一のセリフ。
少女はうれしさのあまり、人形たちと踊りはじめるのだった。

ここでいったん幕を引く。そして少女役の部員が隠しておいたドーランを取り出し、手鏡を見ながらいそいで顔や手を白く塗りつぶした。
幕が開くとほかの人形たちと同じように白く動かなくなった少女が座っているという段取り。
「わたし、夢を見ていたのかしら。あっ、手が、足が動かなくなっている!」
「あれほど口をきいてはいけないと言ったのに。でもそれがおまえの望んだことなら仕方のないことだね。」
全身黒ずくめの女主人は少しうれしそうにしながら、少女のうしろに回りこみ、肩ごしにその頬に口づけをした。

少女が人形として観客の前にあらわれた瞬間に会場はどよめき、女主人が少女に口づけした瞬間に歓声をあげる観客もいた。
これでまた演劇部の新入部員が増えるのだろう。

ボクは男子部員がいない部にお手伝いにいっただけで、これ以上演技をすることに興味をもてなかった。
ところがボクが演じたおかげで、まわりから声をかけられることが多くなった。
もう演劇やらないの。また男の子の恰好してほしいけど。
夢と現実の区別がつかなくなった連中のあしらいに戸惑う日々がつづいた。


(注)この文章は、演劇「人形館」をモチーフにしています。


(2016年5月8日掲載)
(2016年7月16日掲載)


トップへ戻る
inserted by FC2 system inserted by FC2 system inserted by FC2 system inserted by FC2 system inserted by FC2 system